今日、日本は大変豊かになり、食べ物に困るような状況ではありません。しかし大平洋戦争以前は貧しい生活が一般的だったのです。昔は何で稼いでいたと思いますか? 実は黄金、絹、コメ、茶が昔の日本の四大輸出産品だったのです。まさに夢のようではありませんか。そのころ、茶と一緒にわずかですがハーブが輸出されていたのです。それは北見のハッカ(ペパーミント)、山形の紅花茶(サフラワー)、鳥取のカミツレ(カモミール)などです。

 当時は日本産の生薬=和薬(和方)と中国産の生薬=漢薬(漢方)の原料として主としてヨーロッパに輸出され、飲まれていました。このころ、ヨーロッパではハーブが薬湯として飲まれており、味、色、香り、薬効のみを追求することも多く、そのためホールのハーブを乳鉢で粉砕してミックスする飲み方が主流でした。わが国は今と違い貧しく、農薬も満足に買えず、ハーブ(薬草)にとっても最も必要な条件である無農薬栽培になっていたのです。

 大平洋戦争後の1969年、今から28年前にハーブティーとして、わが国に初めて輸入されたのを知れば、複雑な思いがします。当時、ヨーロッパはドイツでコンスタントというティーバックマシンが発明され、これにより一つひとつ粉砕することなく、味、色、香りに加え養分も良く抽出することで、おいしさが増し、ミックスしないでストレートで飲む、いわゆる嗜(し)好品(ティー)として地位が確立されたのです。

 最初、輸入したのは、ハイビスカスフラワー、カモミールフラワー、ローズヒップ&ハイビスカスフラワー、フルーツ&ハーブ、ペパーミントリーフのたった5種類のティーバックでした。ファッショナブルなイメージの訴求力を考え、フラワー(花)を抽出することから、

花のお茶⇒飲む花⇒花を飲もう⇒“フラワーティー”

としてネーミングチェンジ、格好いい嗜好品(ティー)、美しいティーとして流通機構に定着することに成功したのです。